
こんにちは、伏見桃山校です。
今日は、中期選抜 国語の現代文
について教室担当Tの考察を述べます。
(あくまで、一個人の考察です)
問題本文冒頭
対話とは、何かの問いに答えようとして、あるいは、自分の考えが正しいのかどうかを知ろうとして、誰かと話し合い、真理を探究する会話のことである。ただ情報を検索すれば得られる単純な事実ではなく、きちんと検討しなければ得られない真理を得たいときに、人は対話する。それは、自分を変えようとしている人が取り組むコミュニケーションである。
(河野哲也「人は語り続けるとき、考えてはいない」による……一部省略がある)京都府公立高等学校入学者選抜 中期選抜学力検査 検査1 国語より
私はこれを読んだ時、
とてもメッセージ性の高い内容だと
感じました。
高校入試、受験する中学3年生へ
今を生きる子どもたちへ
とても想いを込めたメッセージであると。
君たち(私たち)は、
対話をしているだろうか
君たち(私たち)は、
対話を避けてはいないだろうか
スマホの普及により
なんでもスマホでググってしまえば
今欲しい単純な事実という情報が手に入り
それは、対話で得られる真理ではなく
単に検索結果であるということを忘れ
これが「答えだ」と思い込んでしまう
そんな自分はいないだろうか?
これは、スマホが悪だと
言いたいわけではなく、
対話を億劫としてしまう雰囲気が
どこなく漂っていて、
真理とまではいかなくても
真剣な話(人生や進路など)の答えが
ググればどこかにある、というように
感じてしまうことがあるのではないかと。
本文にあるように、
“きちんと検討しなければ得られない真理を得たいとき、人は対話する。”
この文章は、受験生が読解することを前提に
採用された問題文であるならば
高校生になる子どもたちが今後
どういう意識をもって生きていくのかを
問う内容ではないかと、考えました。
そして
“それは、自分を変えようとしている人が取り組むコミュニケーションである。”
対話とは、
自分を変えようとしている自分が行う
コミュニケーションである、ということです。
よく聞く
「コミュニケーション不足」
は、誰も自分を変えようとしない、
その結果の現れかもしれません。
コミュニケーションを拒むのは
対話を拒否することに繋がっています。
自分の子どもさんの意識を変えたい
という保護者様から多くご相談頂きますが
その際、必ずお伝えしているのが、
親子でしっかりお話(対話)してください
ということです。
ここで言われている対話は
相手を変える(説得)ではなく
話合い、真理を探究する会話、です。
一方的な意見の押し付けで
あってはいけません。
対話とは、自分を変えようとすること
なのですから。
自分からの言葉の発信
目の前の相手の言葉の受信
この2つがあって初めて対話だとすれば
相手の言葉によって、自分がどう考えるか
これが極めて重要ではないでしょうか。
これを踏まえ、私を含め大人が
子どもたちを目の前に
どれだけ【対話】ができる大人の背中を
見せることができているでしょうか。
大人こそ、この対話から
様々な理由をつけて逃げてはいないか
痛烈に突き付けてくるようで、
奥歯をかみしめながら、
この問題文を読んでいました。
塾屋として、この問題の読解方法、解説は、
勿論、授業で行っていきますが、
今回は、違った視点で述べてみました。
ご意見様々あるとは思いますが
その様々の中の一つとして
読んで頂いたなら幸いです。
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今月より、
個別教育フレックスから
個別指導 LiNKS へ
名前が変わりました。
通塾生と保護者の皆さま
お電話の際、少し驚かれると思いますが
教室担当Tは変わっておりませんので
ご安心ください。
いつもありがとうございます。
教室担当T