恐れずに物を伝える難しさ

こんにちは、加茂駅前校の津村です。

さて、大学入試の年内受験が活発化してきております。進学先の年内決定は本人としても早期のうちにプレッシャーから解放されるという大きなメリットがありますが、我々のような小学生から高校生までを全て面倒みる塾の先生としても、この時期に高3生が大学が決まってくれると、年明けからは高校入試に注力できるため、非常にありがたかったりしています。そんな中で今週末にAO入試(試験内容:小論文)を控えている高3生の授業の一幕の紹介です。


その学校は全学科共通での試験内容を課されるため、出題の範囲が絞りこみにくく、社会課題について幅広く知見を持つ必要があるありましたが、本人は『そういった諸問題は授業で学んだので知っているけど、実際に考えるとなると難しそうで抵抗感がある。』という考えを持っていました。とはいうものの、実際の試験ではどんな問題を聞かれるか分かりませんので、いろんなパターンを想定しつつ、その場で考えをまとめる訓練というものを進めて授業は終了となりました。

しかし、そのような『社会問題』に対して、私たち大人もどこか『抵抗感』がある人が多いような印象を受けます。実際、『飲み屋で政治と宗教と野球の話はするな』などという言葉もあります。これは酒の入った中でケンカ腰になるような話はしないようにするという先人たちの知恵ですが、実際にTwitterで政治問題についての発言を見ていると、現職でやってる知事や国会議員まで巻き込んでの罵倒暴言の応酬合戦。とてもいい大人がやっているようには思えません。そんな状況であれば、大人だって『う~ん、詳しいわけではないし……』といって尻込みするのも当然です。子供であればもっとです。そんな環境で『入試の前だから意見しっかり持っとけよ~』は都合がいいにもほどがあるでしょう(汗)そういった攻撃的な思想にさらされることなく、安全に子供たちが社会問題について考えるには、『発した意見を否定されない事』が重要です。特に、現在進行形で大人が束になってもかなわない大きな問題だからこそです。


今、日本は国内外に大きな政治問題を多数抱えながらこれかなの世界を生き抜いていく必要があります。そんな世の中に興味を持ちながらも、意見を否定されない環境を整えることが出来ているのか?いろんな意見を子供たちが自由に述べることが出来る大人になれているのか?と改めて自問自答する今日この頃です。